沿革
明治二十一年  此処の建物は相当壊れていたので当時の十三代日貞上人は先ず本堂の拝殿を建て替えました。その時には庫裡も新築しました。
明治二十九年 十四代日孝上人は現在の二天門を完成させました。
大正四年 十五代日担上人帝釈堂内殿の造営を遂げて、当山は伽藍として立派な規模になったのです。
昭和四年 十六代日済上人帝釈堂拝殿大客殿の造営を、完成させました。現在、帝釈堂を取り囲む法華経絵巻を題材とした胴羽目彫刻十枚大客殿南天の間とは、上人のお力によって完成されたものです。
昭和二十七年  十七代太玄院日滋上人は祖師堂の大改修、ルンビニー幼稚園を完成させました。
昭和三十年 大鐘楼堂を完成。
昭和三十五年 大回廊を完成
昭和四十年十二月 大客殿前庭を大改修して邃渓園と名付けました
昭和四十二年五月 外帳場福聚殿を夫々完成。
昭和四十八年三月 鳳翔会館を完成。
昭和四十九年六月 十七代太玄院日滋上人総本山身延山久遠寺八十八世として瑞世。
昭和五十年秋 現董第十八世大鳳院日翔上人により境内西側玉垣を完成。
昭和五十三年 祖師堂の大改修を行う。
昭和五十七年 南大門並びに玉垣完成。
昭和五十九年 庭園をめぐる廻廊が完成。
平成三年 彫刻ギャラリー完成。
平成六年 本堂欄間に「群猿遊戯図」を完成。
平成十四年十一月 大客殿東京都選定歴史的建造物(選定番号48)に指定される。
※題経寺諸堂内及び二天門の建築装飾彫刻は、葛飾区の登録文化財となっている。
※東京都選定歴史的建造物とは建築後50年を経過した歴史的価値を有する建造物(ただし文化財は除く)で、景観上重要なものを選定しています
平成22年から23年に歴史的な街並み景観の形成を図るための新たな取組として設立された「東京歴史まちづくりファンド」の支援により一部修復しています。
古い記録によりますと文化文政(1803〜1829年)の頃 当山はすでに六間四面の帝釈堂がありました。正面の小さな山門を潜って石畳を進むと、突き当たりに帝釈堂があって、お堂の前には瑞龍の松があり、その右に祖師堂(本堂)、左に庫裡があったようです。